私たちが現在受けている医療は、西洋医学がベースとなっています。
この「西洋医学」。18世紀頃からヨーロッパで確立されてきました。
人類の歴史を俯瞰してみると、わりと最近の話なのですね。
今いろいろとその辺りの事を調べているのですが、それまでは今のような
医師という職業も確立していなかったので、地位も低かったそうです。
19世紀になって公衆衛生の考え方が広まり、社会の医療化が進むに従って医師が容認され、社会的権威も高まっていきました。
それで面白いのが、当時の医師たちは自分らの威厳を維持するために
様々な策を練っていたようなのです。
当時の新米医師向けの指南書には、「医師は患者を診て即座に病状を把握し、診察に時間をかけるべきではない。もし時間をかければ、患者が医師の診断能力に疑問を持つことになる。
また医師は、判断のつかないことがある場合にも、その旨を患者に知らせてはならない。
医師の限界を患者に示すことになるからである。患者に支持を与える時は、軍隊のような命令口調で話す。・・・・」などと書かれていました。
そうやって権威を獲得した医師は、診察で女性が男性に裸体をさらすなど、それまで常識として考えられなかったことも可能にするほどの力を持つようになりました。
19世紀後半から、そうした諸々に反発を覚えた市民が自然療法などのオルタナティブ医療、つまり代替療法ですね、こちらを支持する動きも高まってきました。
でもこれも一方で驚くような治癒があるかと思えば他方では今一つであったり、中には詐欺師のような輩も出てきたりで、医療の在り方が一気に方向転換するほど目覚ましい存在にはなりませんでした。そして医師と自然療法家は、お互いにバッシングをし合いました。
これって、いまの状況と似ていますね。
でも実は、ドイツを中心として起こった医師たちの近代医学と自然療法の対立。
この両者の中には叩き合う時期を経て、お互いの考えの納得する部分も認めながら、手をとり合って道を模索する人たちもいました。だから現在ヨーロッパの医療は、重層的でいろいろなやり方があり、市民が自分で治療法を選択できる状態になっています。
翻って近代化を推し進めることに躍起になっていた日本は、近代医学の部分だけを手本としました。・・・・だから、いまの状況・・・一部の人たちが感じている近代医学への行き詰り感から代替療法への転換という流れは、「かつて人類が通ってきた道」を同じように辿っている、とも言えます。
そんな中、ここ日本でも両者の得意な分野を補い合いながらよい医療を目指そうとする、「統合医療」という考え方も広まりつつあります。
医者にも代替療法家どちらにも、素晴らしい人もいればそうでない人もいます。
現代医学でよく言われる「科学的根拠」。科学が手放すべきは「守ること」だと思いますが、何かを守る光景もたくさん目にします。
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守ろうとすると、緊張が伴いますね。
なんか、そう感じませんか?
そこに違うものをぶつけてたくさん考えた人はおそらく、柔らかいと思うのです。
洗いざらしの浴衣が、赤ちゃんのおしめに適しているように(笑)
こなれて柔らかいものは心地よいですよね。
統合医療と言う分野が、何度も洗われて晒されてこなれたら、人が安心して身を任せられるようなやわやわのおしめになれるんじゃないか?と期待しているのですが、どうでしょうか。