ホメオパシーという医学体系を確立したのはハーネマンというドイツ人の医者です。
ハーネマンは「オルガノン」というホメオパシーの原理についての書物を書き残しました。
研究に研究を重ね、5回の改訂をしています。
そのオルガノンの冒頭に、彼は次のような言葉を記しています。
「Aude sapere(オーデ サペレ)」
Audeとは、「勇気をもって、思い切って」という意味。
Sapereとは、「賢い」という意味です。
ハーネマンが活躍した時代の医療
ハーネマンが医者として働きだした頃の巷の医療は、瀉血(病気の原因は汚れた血にあると考え、血を抜く処置)や水銀などを使う、非常に危険を伴うやり方で、
それで命を落とした患者は少なくありませんでした。
その野蛮な方法と、それを信じて疑わない医師たちに嫌気がさしたハーネマンは
医者をやめてしまいます。
そして、外国の医学書を翻訳することを生業としている時に、
ある書物からホメオパシーの原理に気づきます。
ハーネマンは全く新しいやり方を切り拓いていきました。
原理自体は、紀元前の医者・ヒポクラテスも気づいていたのですが、
ハーネマンがいた時代のドイツでは、全人未踏のやり方だったのです。
ハーネマンを突き動かしたものは?
始めはホメオパシーを歯牙にもかけなかった医師たちは、
当時人々を死の恐怖へ陥れた腸チフスを
ハーネマンがホメオパシーで180症例治療したことで
評判が良くなった途端、彼を町の議会へ告発しました。
嫌がらせにも負けずハーネマンは
ホメオパシーの理論の構築と実践を繰り返し、オルガノンを何度も書き直して
いきます。
致死率の高い病気であったコレラの死亡率を
46%から19%まで下げるなど、ヨーロッパ全土にも広がるホメオパシーの評判と、
それを妬む医師からの非難攻撃。
ハーネマンは転々と移住しながら、ホメオパシーの発展へ邁進しました。
ロッカーが放つもの
「Aude sapere(勇気をもって、賢くあれ)」と言ったハーネマン。
単に既存の医療に疑問を呈しただけでなく、ホメオパシー自体にも常に
新鮮な目で向き合うということを、「勇気をもって、思い切って」やる
と心に決めたハーネマン。
「ロッカー」とはその音楽スタイルではなく、
世間の風潮や権勢に抵抗する気概のある人を指しますが、
ハーネマンはまさにロッカーと言えますね。