「嫌いな人はあなたに似た人」について考えた

「あの人イヤだな、と思うところをあなたも持っているから、

同じところに反応してしまうんですよ」とか。

こころの持ち方を説く方々はよくおっしゃるので

聞かれたことある方、多いと思います。

 

なるほど~と思いつつも、

実はなんか肚の底から納得できていなかったのです、この考え方。

 

例えば何かを強要してくる人をイヤだなーと感じた場合、

実は自分も人に強要するところがあって、

それを内心イヤだと思ってるからそう感じる、のかな。

 

そうかな・・・・?


それが最近、ひらめきました。


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「自分の中で明確になっていない所を突いてくる人を、苦手に思ってしまう」

んじゃないかな。


苦手な人のする事、言う事に触れると、自分の中のモヤモヤしていたもの、

どうしていいかよく分からなかったことへの対処を迫られるから、

そんな刺激を与える人を「苦手だな」と感じてしまう。

だから、本当に苦手なのはその人じゃなくて、

自分の中のどう扱っていいか分からない事なのではないでしょうか。

 

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たぶん、「私はこれについてはこう考えるよ」と明確になっていれば、

揺さぶりをかけられても「ああ、あなたはそう考えるのね」と、

落ち着いて距離を保てると思うのです。

 

自分とは違う、ときちんと認識できるというのかな。

 

先の「強要する人」について考えれば、

「私はそれはしないよ」と言えば、それで済むことじゃないかしら。

たぶん、イヤだなーと思うのは

「それはしないよ」を言いにくいからじゃないかなあ。

 

なぜ言いにくいのか、を考えると

こう思われるんじゃないか、とか、

嫌われるんじゃないか、とか、

思うのかな?

 

この場合、自分の中で明確になっていないのは

「私はこう考えるよ」というのをそのまま伝えられるかどうか?

という所なのではないかしら。


相手が何を考えるかは、私にはどうしようもない領域なので

自分はこれについてはこうする、

と割り切ることしか出来ないのだけど、

相手の考える事は自分の領域ではない、というのが肚に落ちていないと、

そして、

違うけどあなたの事は尊重しています、ということを

素直に伝えられる術 をもっていないと

悶々として・・・

「この人イヤだな」と思ってしまうのじゃないだろうか。

 

私はこう考えたらすっきりしたのですが、

あなたはどう思いますか?