ホメオパシーをよく知らない人の間でも、
よく知っている人の間でも、
賛否両論喧しいですが。
かまびすしさは、2段階に分かれています。
ひとつは、ホメオパシー自体が、アリかナシか?の段階。
これは、ハーネマン(ホメオパシーを体系化した医者)が
始めた頃から、「そんなバカな話があるものか」と
アンチを唱える人たちがおられます。
どこの国にも、おられます。
これについては、時々触れていますので今回は触れません。
ホメオパシーを「アリ」と考えている人たちは、居ます。
体験している人たちです。
その中には、医療従事者も少なからずいます。
でも、「アリ」と考える人達の中でも二分されています。
先ほど申し上げた「2段階の喧しさ」の二つ目は、これ。
「日本でのホメオパシーは変容していないか?」と言われる問題。
ここ日本で「ホメオパシー。知ってる人は知っている」
ぐらいの認知度になったのは、由井寅子さんの精力的な活動のおかげ。
・・に異論を唱える人はほとんどおられないでしょう。
学校を立ち上げ、広く「同種療法」を紹介。
その情熱と、ビジネスの才覚が揃っていたからこそ、
ここまで知る人が増えました。
でも「日本のそれはホメオパシーではなくて、トラコパシー」と揶揄されることもあるほど、
独自の手法を良しとする人も居れば否とする人もいます。
加えて「医師ホメオパスか、そうでないホメオパスか」の二分もあり。
全体から見ればまだまだマイノリティーのホメオパシーの中で、
いくつかに村が出来ている状態です。
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福岡伸一さんが
「学ぶというのは知識を得ることではなく、
疑問に思った事を自分で調べたり、
確認したりしながら既存の世界観を変えること」
と言われていたのを知って、深く納得しました。
ホメオパシーを支持している人の中で、
「でも寅子さんの伝えるホメオパシーには違和感が」という意見はありますが、
私は、違和感の本質は寅子さんじゃないのでは?と考えます。
寅子さんの提唱する新しいホメオパシーが「踏襲」されている。
ここが、周りにいる人の違和感の正体ではないでしょうか。
大切なのは、これを知った私たちが
いかに自分から違う意見も拾いに行くか?考えるか?
という点にあると思います。
必要なのはそれぞれの結束ではなく、討論。
ここがもっと揉まれれば、日本のホメオパシーに 「盤石さ」がつくのだろうなと思うのです。
コミュニティーに起こりがちなのは、その中で独自の考えが生まれにくいこと。
私たちがついやってしまうことですね。どこに居ても。
どこに居ても。